なにかの「跡」からできている

 個人的に「使われなくなったもの」をお仕事の一つとしているので、一体なにをもって「廃」とみなすのか、ということはよく考える。
 たとえば閉院した病院を地元のヤンキーがボコボコに壊して落書きだらけにしていたら、これはもう、誰がどう見ても「廃病院」だろう。そういう物件は存在する。
 また、こうした施設が跡形残らず解体され更地となり、その後に別のビルか何かが建っていれば「解体」と言って良いだろう。
 建物をそのままに大規模なリニューアルを施してピカピカの別施設として「転用」しているケースもある。
 ではたとえば鉱山跡で、鉱山施設は解体されているが坑口やズリが見られる場合はどうだろう。炭鉱住宅が残っているけれどそこに居住者がいる場合は「現存」なのか「再利用」なのか。施設がなければ魅力がない、という人もいるし、穴があったらどこでも潜りたい、という穴マニアみたいな人もいる。石を拾いたい人もいる。ちなみに坑道とか隧道跡には「コウモリ大好きおじさん」という人種も集まる。見出される価値は全然違う。
 歴史的価値の高い施設などは史跡として保存されている場合もあり、このようなものは一概に「廃」は言えない。更に、文化財指定を受けながら同時に別施設に転用されているケースもある。これは「現存」なのか「転用」なのか。
 施設本体が解体されているけれど遺構が見られるパターンもある。ガソリンスタンド跡がもうないけれど壁だけが駐車場に残っていたり、看板だけがあったり。こうしたものは個人的には非常に魅力的なスポットで、簡単に「解体」とは言いたくない。むしろ本体が壊されたからこそ醸し出される美というのがある。
 ある大規模なアミューズメント施設が閉鎖、既に大部分の施設は解体され跡地は緑地公園になっているのだけれど、その片隅にミニ電車の駅跡が朽ちた形で藪に埋もれていたりする。これは「解体」か? いやむしろ魅力的物件の「現存」ではないか。
 逆にただ使われなくなって年数が経過している、ということなら、普通の空き家など無数にある。ほとんどは特に面白くもなんともない。
 「廃」と言っている以上、当初の目的では既に使われていないのだけれど、その跡がどこまで残っているのか、どういう状態を残っているとみなすのか、そういう話になる。
 究極、「跡」というものはどうしたって完全には消えないのだ。なかったことにして新しい建物を建てたとしても、過去のすべてが消えてなくなるわけではない。
 わたしたちは常に「跡」の上を歩いているし、わたしたち自身がなにかの「跡」からできている。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする