積み重なる地図

 最近訳あって、昭和期の資料をPDFにしたのを漁ったり訳のわからない地学系の資料を眺めたりしながら古い空中写真とにらめっこする仕事をしているのですが(何屋なんだお前は)、僅かな資料から位置を特定し現況を確認したり、誰も気付いていなかった遺構を発見したり、「ここの空中索道がここの廃駅につながっていて、それが信号所になってるんや!」「この温泉は元は鉱山事務所や!」みたいのに気づくと、言い知れぬ興奮を覚えます。
 基本的に地図マニアなのですが、単に地図というより、時間軸を持った深みのある地図が美しいと思うのです。
 高校生の頃、世界史が好きだったのですが(成績は別に良くなかった)、あれも時代により版図が変わっていきますよね。ペルシャ帝国とか一口に言っても時期によりどこまでがそれか、変化があります。頭が混乱するので時代ごとに地図を作って、パラパラ漫画的に重層的に覚えようとしました。中国とかイスラーム帝国なんかもアメーバみたいに動いて面白い。漢字が嫌いなので中国史だけはあんまりでしたが。
 この間南大夕張地区の変貌について触れましたが、本当に四五十年前の遺構でも、びっくりするくらい草木に埋もれてわからなくなります。日本の植生が豊かとも言えますが、人の生きる世界というのは毎日毎日掃除してメンテナンスしてやっと成り立っているのだ、と実感します。
 今ではオフロード車でも到達できず、藪漕ぎして命がけで訪れるような場所に、何百人もの人が暮らす集落があって、学校も映画館もあったのだ、という記録を目にすると、胸が熱くなるものがあります。そういう人たちが頑張ってくれたお陰で今の暮らしがあるのだな、としみじみ思います。
 台湾の炭鉱を訪れた時も感動しましたよ。この探鉱も鉄道も、日本人が作ったんですよ。まぁ別にわたしの親戚とかじゃないですし、植民地支配なんですから偉そうなことは言えませんが、よくもまぁこんな所のこんな山奥まで来て頑張ってくれたもんだ、と思います。
 ペルシャ帝国に比べたら日本列島の形は変わらないように見えますが、日本の領土だってパラパラ漫画みたいに変わりながら、色々な人が色々なところで信じられないような努力を積み重ねてきているわけです。そしてそんな努力すらも、大自然の力の前には砂粒ほどのもので、あっという間に覆い隠されてしまう。
 人は凄いし神様はもっと凄いなぁ、と噛み締めている訳です。

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